2014-03-19 第186回国会 参議院 予算委員会 第14号
社会人として安定したポジションと収入を得たのに、それを離れて学究生活へ飛び込むという決断をするには、家族や友人を含めた周囲の厚い支えと理解が必要でした。 大人が学び直すとき、本人の意思だけで所期の目標を達成するのは極めて困難であることを身をもって学んでまいりました。
社会人として安定したポジションと収入を得たのに、それを離れて学究生活へ飛び込むという決断をするには、家族や友人を含めた周囲の厚い支えと理解が必要でした。 大人が学び直すとき、本人の意思だけで所期の目標を達成するのは極めて困難であることを身をもって学んでまいりました。
大臣におかれましては、長い間深遠な真理を探求される学究生活を得、また多大なる成果を上げられ、そして我が国の最高学府の頂点をきわめている大学の学長を務められ、そしてまた中央教育審議会等で社会的に大変な成果を上げられてまいりました。そのことに敬意を表したいと思います。
したがって、非常にいい先生にめぐり会うということが、将来の学究生活に入る場合でも非常に大きな影響があるということですから、私は教育の問題というのは何か形ばかり整えても、やっぱり中身の整備をしていくというのが一番大きな問題だろうと。 私なんかも実は大学で行動科学というのを勉強させてもらったわけですが、この動機づけですね。
これは、五十四歳、今まで三十年間学究生活をしてきた人間の受け取っている給料でございまして、これは今度新卒で出る学生諸君の給料の三倍にも満たない。これは小、中、高校の先生についても言えることかと思います。 人間というのは現金、まあ現金というのはまさしく現金なのでございますが、私がアメリカの大学で教えますと年俸六万ドルでございます。
これも仄聞するところでございますが、田中裁判官は、最高裁の判事に御就任になりますときにも、決して最後までやるのではなくして、それでは数年やってまた学究生活に戻りたいということをおっしゃっておったというふうに承知いたしております。そういうお考えを御実行になったものと承知をいたしております。
その理由について表向きあげておりますのは、学究生活に戻りたいということと、それから清新の気を吹き込みたいということの二つのようであります。しかし、田中二郎さんは私の恩師でもございますが、五十七歳で学究生活を去って裁判所に入られました。これは学究生活よりも裁判官のほうがやりがいがある仕事だと思われたからにほかならないと思います。
いわばあの地味な永井君から、どうしてあのはでな本が出たのかということをふしぎに思つたくらい、学究生活は地味だつたと思つております。
しかしながら先生は、後に創作をやめられまして、主として学究生活に入られ、江戸文学、支那文学、宗教文学等々、古典文学の研究に没頭いたされ、その該博なる知識、そのゆたかなる学徳は、まさに入超の域にさえ達せられ、日本においての最も貴重なる文化的存在として、何人もこれを認めない者はなかつたのであります。